2001.11.10
【 伊藤君子 】
アルバム「フォロー・ミー」は、米“ラジオ&レコーズ”誌に日本人女性シンガーとして初のチャート・インするなど、今や名実ともに日本を代表するジャズ・ヴォーカリストの伊藤君子。品性の高い澄んだ声で歌うスタンダード・ナンバーは大好きだ。

彼女のアルバム「STANDARDS MY WAY 」の解説をJAZZ評論家の大御所である由井正一さんが次のように書いていた。
『JAZZ歌手としてスタートする前に歌謡歌手として東芝から「幸せにふるえて/雨の小豆島」という歌でデビューした。こんなレコードを発見したら大儲けをするに違いない。なにしろ当人ががっかりするほど売れなかったのだから。・・・・・』

美空ひばりに憧れ香川県の小豆島から上京し歌謡歌手となり上記のレコードを含め5枚を出したが売れずにクビになってしまったという。
30年以上も前、それも全くといっていいほど売れなかった彼女のデビュー曲。10代の時の歌を聴いてみたい。このレコードがあれば、油井正一さんが書いているようにホントにレアもの、JAZZファンの間では貴重品だ。本当に高値がつくだろうなぁ・・・・と思いながらインターネットで検索してみたら・・・\(^O^)/ヤッター  通販で売ってあるところが2ヶ所もあって・・・ もちろん即購入!

レアものも価値観を持った人の間だけでの価値であって、趣味がない人にとっては何でもないんだよね。ちなみに私が買った価格は700円、他店では500円だった。
こんな所はインターネットのすばらしさで、楽しいところかな。( ^-)_旦~~ 




香川県小豆島生まれ。4歳の時、ラジオから流れる美空ひばりの歌声に魅せられ、歌の愉しさを知る。70年に沢田靖司に師事し、その後、世良譲トリオ、北村英治グループ、ジョージ大塚トリオ等と共演を重ね、実力を磨く。

●82年、初のジャズ・アルバム『THE BIRDLAND』をリリース。

●85年、NYハーレムのジャズ・クラブ"サットンズ"に出演、帰国後、日野皓正グループと共に全国ツアーに参加。

●86年、EPICソニー・レコードに移籍。佐藤允彦、日野皓正、スティーブ・ガッド、エディ・ゴメス、マイケル・ブレッカー等がサポートした作品『A TOUCH OF LOVE』を日本・オーストラリアで発売される。86年、同作品は、日本ジャズ・ヴォーカル大賞を受賞。

●87年9月、『FOR LOVERS ONLY』を発表。同作品は、翌'88年に全米発売、さらに日本人の前例がほとんど無い韓国でも発売された。

●89年、日米同時発売された「フォロー・ミー(FOLLOW ME)」は、同年、米ラジオ&レコード誌のコンテンポラリー・ジャズ部門の16位にチャート・イン。日本人女性ヴォーカリストとして初の快挙となる。

●90年、アルバム『A NATURAL WOMAN』を発表。同年、スティーブ・ガッド、リチャード・ティー等を招いたスーパーセッションを行い大好評を博す。同年、米国のジャズ・ミュージシャン達によるクリスマス・アルバム『ア・ジャジィ・ワンダーランド』に唯一日本人アーティストとして参加。

●91年、日野皓正と共にマレーシアへ遠征。秋には、新曲を携え自己バンド"ESP"と共に、出身地の小豆島を皮切りに全国ツアーを開催。

●92年、ビデオアーツ・ミュージックONE VOICEレーベルより、『HERE I AM』をリリース。同年スイングジャーナル誌ジャズディスク大賞日本ヴォーカル賞を獲得し、また、スティーブ・ガッド、リチャード・ティー、ウィル・リー等と共演した公演は好評を得た。

●93年『スタンダーズ・マイ・ウェイ』をリリース。93年度スイングジャーナル誌ジャズディスク大賞日本ヴォーカル賞を獲得し、2年連続の栄冠に輝く。

●94年、NYのジャパン・ソサエティ・ホールにてライヴを開催。NYオールスターズと共に質の高いパフォーマンスを披露。

●95年NYオールスターズをバックに『ソフィスティケイテッド・レディ』リリース。97年、モントルー・ジャズ・フェスティバルに小曽根真とデュオで出演。

●98年、99年には、ドイツ在住のピアニスト高瀬アキとのデュオで、ヨーロッパ各地でライヴ・ツアーを行う。

●00年小曽根真をプロデュースの5年ぶりのNY収録アルバム『KIMIKO』(ビデオアーツミュージック)をリリース。ヴォーカリストとしての伊藤君子の魅力を存分に引き出したこのアルバムで、00年度スイングジャーナル誌ジャズディスク大賞日本ヴォーカル賞を受賞した。

●04年3月3日には押井守監督作品映画『イノセンス』の主題歌を含むミニアルバム『フォロー・ミー』(ビデオアーツミュージック)をリリース。89年に日米でヒットした同曲を新バージョンで録音された。