【 プロ空手 】 コタパパは、東京の学校を卒業すると、長崎の地元の銀行に入行した。そのときの同期には空手の世界チャンピオンもいて、彼とは「俺とおまえとどちらが先に銀行はやめるかねぇ。」などと話をしていたが、どちらも同時期にやめて、彼も現在事業をやっている。 その銀行マンの時代を思い出してみると、今のK−1のはしりとも言える「プロ空手」に誘われ、心揺らいだことがある。 20代半ばの時、福岡支店に転勤になると、学生時代にやっていた空手を又やりたくなって、近くにあった大塚剛さんの道場に通った。その頃は大山倍達の極真空手が有名になりつつある時だったが、極真道場には行く気はしなかった。大塚さんは千葉真一などの映画のアクション指導などもしており、東映の映画(柳生一族の陰謀など)にも武術家として数本出演し、主演(世界最強の格闘技 殺人空手)したものもある。 その大塚さんが「プロ空手」を始めて、テレビでも毎週放送され「紅幸司」だったかスターも誕生したので覚えている人もいるかもしれない。その大塚さんに「内田クン、これからこのプロ空手は世界に進出するよ。君も一緒にやらないか。」と、まじめに誘われてプロ空手の練習場へ行ったことがある。ロープを張ったリングの中で若い連中が練習していたが、何とも言えない異様な雰囲気が漂っていた。 大塚さんの道場には僕より若く、活きのいい連中がたくさんいたが、なぜ僕に白羽の矢をたてたのかと考えてみたけどよく分からない。銀行員の歌手(小椋圭)もいたから、銀行員の格闘家ということで売り出したかったのかもしれない。(^^;) |