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【あたりまえのありがたさ】 8年ほど前、舌の切除手術をした。 食事の時にちょっと舌をかんで、すぐ治るだろうと、そのままにしていた。しかし最初小さかった傷は、歯と触れ合う事により腫瘍になってしまった。 物を食べる時はもちろん、話を少しするだけで、我慢できないほどの痛みが走り出した。仕事が忙しい時期で一ヶ月先まで毎日のスケジュールが決まっており「約束だから」と、我慢を重ね仕事を続けたのが結果を悪くしたようだ。 長崎大学歯学部口腔外科、専門の医師に見てもらい「すぐ切りましょう」という事になり、もしもの時の誓約書を家族と共に提出させられ手術した。腫瘍のある舌の部分、まわりを含め約四分の一ほどを切除し、切除した傷は縫い合わせるという、考えてもみなかった手術だった。 手術後は点滴だけから始まり、鼻から管を入れての流動食。内臓の病気ではないので、物が食べたくて・・・ 。その後ガンの芽を消すために顔から胸の部分まで放射線を毎日あてだしてから極端に体力が低下し、入院3ヶ月半頃には車椅子が必要になってしまった。体力はもちろん気力まで抜け落ち、身体には何も残ってない状態だった。 入院とリハビリ期間を入れて約1年間、ちゃんと話すことも出来ず、食べ物の味は全くなくなり、少し話せるようになってもろれつがまわらず不自由な思いをした。しかし、その不自由な思いの中に「あたりまえのありがたさ」を改めて考えさせられる事となった。 毎日の食事をおいしく食べる、あたりまえに食べる、食べられるありがたさ。 食べ物の味がする、味を感じられるありがたさ。 話をする事、自分の思いを声に出して伝える事、言葉をつかえる事のありがたさ。 すべてあたりまえのようにやっていた事だが、その機能がなくなって初めてそのありがたさに気ずく。 星野富弘さんという詩画の作家がいる。中学の体育の教師だった頃、鉄棒の練習中に頭から落ちて全身麻痺になり、手足はもちろん、顔も動かせない身体になってしまった。 星野さんは、元気一杯だった体から、ピクリとも動かせなくなった自分の体を恨み悩んだが、その事実を受け入れ、口に筆をくわえて花と文字を書く練習を続け始めた。 現在は感動的なすばらしい作品をたくさん発表している。 星野さんの詩にも、あたりまえのありがたさを作品にしたものがある。 いい日だ つつじの花のむこうを 老人が歩いてゆく 赤ん坊をおぶっている足どりも 軽やかだ 右足 左足 右足 左足 あッ、片足で立った あッ、半ひねり すごいなあ人が歩くって 私も前はあんな見事な技を こともなく毎日やっていたのか 星野富弘「風」より ものが見える事、話せる事、体が動く事・・・・ あたりまえに毎日やっている事に感謝をしたい。 |
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